『トニー滝谷』を真夜中に観た


村上春樹の初期長編の主人公である「僕」ほど、読んでいて顔が想像できない登場人物もいない。考えてみると、主人公の外見に関する描写が極めて薄い分、読者が自分を投影しやすいというのも、春樹人気の理由のひとつなのかもと、今更思ったりもしますが…。

春樹本人の許可がほとんど下りないということもあってか、村上作品の映像化は稀なのだけれども、数少ない例外として製作された大森一樹監督による映画版『風の歌を聴け』で、「僕」を演じていたのは若き日の小林薫だった。この「僕」のキャスティングは、当時映画を観た時、意外とすんなり受け入れることが出来た覚えがある(「鼠」役がヒカシュー巻上公一というのも、なるほどと思った)。それ以降、春樹の新作を読むと、「僕」の顔をなんとなく小林薫、またはそれに近いタイプの顔として想像しながら読むようになってしまった。

それはともかく、村上作品の登場人物たちを、実際の俳優が演じるのは極めて難しいのは確か。最近、なんだか眠れなかった夜に、以前録画していてそのままになっていた『トニー滝谷』を観てみて、イッセー尾形という俳優は、なるほど村上春樹世界の登場人物っぽいなあ、と感じた。イッセー尾形が自己を消して様々な他人になることを芸とする俳優だからか、この映画のように表面的な芸を封印して、自分があるようでないような曖昧な人物を演じるとすごくぴったりくるのだ。

映画自体は、極端にいえば原作の朗読に映像をくっつけたような思い切った作り方がうまくいっている。市川準監督作はたいていの場合、作品自体はおもしろくないのだが、映像に限っては惚れ惚れすることが多い。『トニー滝谷』も横移動の撮影で繋がる本筋も良いが、その間に挟まるちょっとした風景などにグッとくる瞬間がいくつもあった。

話は逸れるが、市川準監督の傑作といえば『東京日常劇場』。
あれ、CSかどこかで再放送してくれないだろうか?